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嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

哲人と青年の会話をもとにアドラー心理学についてまとめている本。

かなり面白かった。アドラーに興味でました。他の著作も読んでみたい。

 

過去ではなく今

アドラー心理学では、現在の問題(不安や恐怖の感情だったり、引きこもってしまうことだったり)について過去に原因があるのではなく、いまの「目的」があると考える。(目的論)。アドラーフロイト的なトラウマの考えを明確に否定しています。

(引きこもり)のご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。

どう考えればいいのか?

過去ではなく、いま。そのことについて違う言葉でも説明されています。

大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである

根本的な問題は?

いまの「目的」は深堀すれば、結局は対人関係である。対人関係の中で傷つくことが怖いのだ。

対人関係のなかで傷つかないなど、基本的にはありえません。対人関係に踏み出せば大なり小なり傷つくものだし、あなたも他の誰かを傷つけている

一歩踏み出す勇気

「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上を目指そうとする競争の意思ではありません。(中略)誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩いていけばいいのです

人々はわたしの仲間なのだ

対人関係を競争・比較から離してみることが大切になってきます。

ひとたび競争の図式から解放されれば、誰かに勝つ必要がなくなります。「負けるかもしれない」という恐怖からも解放されます。他者の幸せを心から祝福できるようになるし、他者の幸せのために積極的な貢献ができるようになるでしょう。(中略)「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります。

もし攻撃をされたら?

攻撃的に感じる相手がいた場合については以下のように記載があります。ここでもやはり目的論なのです。

もしも面罵されたなら、その人の隠し持つ「目的」を考えるのです

そしてアドラー心理学では、他者から承認を求めることも否定しています。誰のために生きるのか?自分のため。つまり承認など不要なのです。

どうやって相手を気にしないのか?

課題という観点で考えることが提案されています。

哲人:われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

青年:分離して、どうするのです?

哲人:他者の課題には踏み込まない。それだけです。

そして自由へ

自由とは他者から嫌われることである(中略)他者にどう思われるかよりも先に、自分がどうあるかを貫きたい。つまり、自由に生きたいのです。(中略)幸せになる勇気には、「嫌われる勇気」も含まれます。

何のために?

僕たちは共同体の一部であって中心ではない。そして、その共同体に対して自らが積極的にコミットすることによって所属感が得られるのです。これが共同体感覚です。

出口が見えなくなってしまったとき、まずは考えるべきは「より大きな共同体の声を聴け」という原則です。(中略)目の前の小さな共同体に固執することはありません。もっとほかの「わたしとあなた」、もっとほかの「みんな」、もっと大きな共同体は、かならず存在します。

共同体感覚を持つために必要な3つのこと

「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」

他者信頼によってもっと深い関係に踏み込む勇気を持ち得てこそ、対人関係の喜びはまし、人生の喜びも増えていくのです。

そして、

たとえあなたを嫌う人がいようと「他者に貢献するのだ」という導きの星さえ見失わなければ、迷うことはないし、なにをしてもいい。 

まとめ

まとめかなと感じた言葉を引用。

行動面の目標は「自立すること」と「社会と調和して暮らせること」の2つ。そしてこの行動を支える心理面の目標が「わたしには能力がある」という意識、それから「人々はわたしの仲間である」という意識です 

 最後にもう1つ言葉を。

誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく。